十何年ぶりに色の歴史について勉強して、改めて興味深い時代と感じました。
「四十八茶百鼠」これは江戸時代の町人文化の特徴を表す用語で、茶色系や鼠色系、藍色系のたくさんの色を表しています。
(48種類の茶色に100種類の鼠色ということですが、実際にはそれ以上のバリエーションがあったそうです)
江戸時代後期、町人や商人は徐々に生活が豊かになってきて、衣装に贅を尽くすようになってきました。
総鹿の子、金刺繍などの豪華な衣装が競うように作られ、今日で言うファッション誌も出て、富豪町人の奥さんや娘さんの衣装比べが話題となったそうです。
そんな状況に幕府は、町人がお金をかけられないように、
「小袖の生地の値は1反200匁以下にすること」や「紅や紫などの染色禁止にする」など町人の贅沢を禁止する
「奢侈禁止令(しゃしきんしれい)」というおふれを出しました。
それによって貯めたお金は国が潤うために使いましょうということです。
そこで町人は、手頃であり禁止もされていなかった植物由来のタンニンや、どんぐりや炭で作った染料、藍などを使って、茶色、鼠色、紺色などの範囲で微妙に異なるさまざま色を編み出したのです。
これはホンノ一部です。
なんとも粋なお話しですね。
これらは派手ではなく、落ち着いた色調のしっとりしたもので、繊細な和の色彩です。
華やかな色が禁止された中で、当時の江戸の人々は、やむなく茶色、鼠色、藍色系統の地味な着物を着るようになったのですが、そこから先が柔軟さ、素晴らしさ、「色を遊ぶ」という文化を、またたく間に組み上げました。
茶と鼠、藍しか幕府が着せぬというなら一色のなかで「遊びましょ」と絶妙な中間色を次々と創り出していき、
そこから
「粋」という抑制の美意識が育まれて現代の日本人の美意識につながっているのです。
茶色、鼠色、藍色⇨
ブラウン、グレー、ネイビー。
これらの色を、
好きだからではなく、無難だからと好んで着る人が増えてきています。
好きな色は?という質問にも「無難な色」と答えられます。
もちろん無難であること(難が無いこと)は大切なことですが、もっと積極的な気持ちで色を取り入れて自己表現としての色使いでありたいと思います。
今で言う「無難な色」しか使えなくなっても、その中で何百種類もの色を創り出して、装うことを楽しんだ、心意気を受け継いでいきたいです。
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上田 千晶